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宇都宮地方裁判所 昭和41年(ヨ)128号 判決 1968年2月29日

申請人 小林心 外四名

被申請人 株式会社大興電機製作所

主文

申請人らが被申請人の従業員としての地位を有することを仮りに定める。

被申請人は、申請人らに対し、昭和四一年七月二六日から、毎月二八日限り、別紙賃金目録記載の各割合による金員を仮りに支払え。

申請費用は被申請人の負担とする。

(注、無保証)

事実

(当事者双方の申立)

申請人等代理人は、主文と同旨の判決を求め、

被申請人代理人は、「本件申請を却下する。申請費用は申請人等の負担とする。」との判決を求めた。

(申請人等の主張)

第一、当事者

一、被申請人は、電話交換機搬送装置、無線通信機、その他電気通信技術並に電気通信設備に関連する機器及び部品、音響機器、半導体機器測定器、自動制御関係器等の製造販売を業とする株式会社で、東京都品川区中延六丁目一〇番一三号に本社及び工場を、矢板市矢板一五二六番地に矢板工場を設けている。従業員は東京の本店及び東京工場が合せて五一三名、矢板工場が六九二名である。

二、申請人らはいずれも被申請人の従業員で矢板工場に勤務している。

第二、懲戒解雇処分

一、被申請人(以下会社という)は、昭和四一年七月二三日申請人らに対し、同月二五日付で解雇する旨の懲戒解雇の意思表示をした。

二、右懲戒解雇の理由は、会社の就業規則第七四条第三号、第四号、第九号及び第一〇号に関連して同第七三条第七号、第八号に申請人らの所為が該当するというにある。

第三、懲戒解雇処分の無効

一、不当労働行為

(一) 会社の矢板工場に勤務する従業員は総評全国金属労働組合栃木地方本部大興電機矢板支部を結成し、本社及び東京工場の従業員をもつて組織されている総評全国金属労働組合東京地方本部大興電機東京支部とともに大興電機労働組合連合会を結成して統一行動をとつている。

(二) 申請人小林心は前記矢板支部の執行委員長、同長谷川勝美は副執行委員長、同志水清子は書記長、同石塚正行及び同久保井久夫は執行委員として、組合活動に従事してきた。

(三) もともと矢板工場の従業員をもつて組織する労働組合は、昭和二三年六月頃結成されたのであるが、昭和二八年一月一四日会社が企業整備と称して従業員二六〇名のうち、委員長、書記長らを含む組合活動家三六名の人員整理を発表したことに対し、組合はこれが撤回を要求して昭和二八年一月二二日ストライキに入り、六三日間の斗争を継続した結果、「人員整理は希望退職者をもつて充てる」ことを骨子とする栃木県地方労働委員会の斡旋を労使双方共受諾して妥結したが、争議の間に、二〇〇名以上の組合員が脱退して新組合を結成してしまつた。そこで昭和三二年両組合は組織統一を行ない、株式会社大興電機製作所矢板工場労働組合と称することとなつた。その後、会社の本社と東京工場の従業員が昭和三四年に組合を結成したのを機に、昭和三九年二月二四日東京と矢板の組合は大興電機労働組合連合会(以下労連という)を結成した。そして組合は戦斗的労働組合となるため組合員の教育を重ねた結果、東京の組合は昭和四〇年三月、矢板の組合は昭和四〇年七月一日にそれぞれ総評全国金属労働組合(通称全金)に加盟し、以後矢板の組合は全金栃木地方本部大興電機矢板支部(東京は同東京支部)と称することとなつた。

(四) 労連は、昭和四〇年三月一二日、春斗として、いわゆる全金の方針に従い、賃金一律八、〇〇〇円の引上げを要求して、同年四月三日二四時間ストライキを実施し、四月一六日以降無期限全面ストに入り、五月二五日漸く四、〇〇四円の賃上げで妥結した。矢板の組合はこの間の斗争を指導して全金の方針を受入れ、昭和四〇年五月二八日春斗妥結報告大会の席上で全金加盟を決議したのである。

(五) 組合は全金加入と同時に、組合の斗争力を高めるため常時学習講座を開催するなどして組合員の意識を高めてきたが、労連の決定に従い、昭和四一年の春斗として同年三月一〇日会社に対し八、五〇〇円の賃上げを要求したところ、会社は同年三月二六日次年度の計画がまだできていないことを理由にして零回答をなしてきた。そこで組合は三月二九日一時間を限度とする全面ストライキを行使したのをてはじめに五月二一日まで部分スト・指名スト・リレースト等を実施した。しかし会社は五月八日三、二五〇円の賃上げを回答したが、その後は全く要求に応じる気配がなく、かえつて団体交渉の席上で組合三役を公然と罵しつたり、いわゆる管理職の地位にある者を動員して組合員及びその家族に対し組合から脱退して第二組合を結成するよう説得するなどして切崩しに躍起となつたため、東京支部では第二組合結成の兆しが見えはじめた。すなわち東京支部では五月一四日ごろより脱退があいつぎ、同月二三日には野中委員長も脱退するに至つたので、矢板支部でも急遽ストライキの態勢を解き、同日会社に対し、ストライキの中止と就労を文書で通告した。

(六) ところが、会社は、この通告を受けとるや、東京支部に第二組合が結成されることになつた上、矢板支部でも長期にわたる斗争のため組合員に疲労の色が見えはじめ脱退者が出る気配が濃厚になつたとみており、組合がスト態勢を解き就労の意思表示をなしたにも拘らず、あえて組合の一挙潰滅を意図して攻撃的に、昭和四一年五月二四日午後三時四〇分組合に対しロツクアウトを通告するとともに矢板工場正門及び守衛所南側通用門を完全に閉鎖し、かつ同所にバリケードを設け、ガードマン数名を配置し、組合員の出入りを不能にしてしまつた。このため構内の講堂にいた組合員約一五〇名は構内に残留することを余儀なくされた。そこで組合は、このロツクアウトが攻撃的になされた違法なものであることを理由に宇都宮地方裁判所に仮処分命令を申請し、昭和四一年(ヨ)第八七号事件として同裁判所に係属した。

(七) 会社は右のとおり攻撃的にロツクアウトを強行して組合員に打撃を加える一方、五月末頃より連日職制の地位にある職員が早朝から深夜にわたり組合員やその家族に対し、全金の誹謗、第一組合からの脱退、第二組合の結成を勧奨し、署名をとるなどの支配介入を強行した結果、六月八日以降脱退者が出はじめ、六月一〇日には一〇〇名の連名で脱退声明がなされたところ、会社はこれを正門に掲示するなどして右脱退に協力する意図を明示した。

(八) 六月一一日右脱退者一〇一名は那須温泉の自在荘(会社の厚生施設)に集合し、第二組合の結成大会を行つた。この席には会社の南雲矢板工場長、漆原総務部長、岡村総務課長代理も出席して祝辞をおくつた。

(九) 第二組合は会社の職制の地位にある者の勧奨により、組合員数が次第に増加し、現在では一八〇名になつている。

(一〇) 会社と第一組合は、宇都宮地方裁判所の和解勧告及び栃木県地方労働委員会の斡旋により数回話し合つたところ、会社はあくまで第一組合の斡部の責任追求を公言して妥協するところがなかつたが、昭和四一年七月二〇日右労働委員会の立会で、昭和四一年春斗の賃上げについては五月八日会社がなした回答を受諾すること、就労の方法については誠意をもつて団体交渉すること、などを内容とする和解協定が成立し、七月二三日と同月二四日右就労の方法につき団体交渉をしたが、会社は当初より六二名についてのみの部分就労を固執してゆずらず、七月二四日午後四時三〇分ごろ六二名に対し就労の通告をなした。しかも申請人らに対しては右団体交渉のさなかである七月二三日午後六時ごろ、同月二五日付で懲戒解雇する旨の意思表示を郵送して来たのである。

(一一) しかし申請人には右懲戒解雇の理由に該当する事由なく、しいてさがし出せば、今回の争議を指導したことがあるくらいであるが、右ストライキは正当であつて、全体としても部分的にも何ら違法呼ばわりされる契機はない。

(一二) 右のとおり、会社は、組合が昭和四〇年の春斗の成果に自信を得て全金に加入し、昭和四一年には昨年にまさる強い態勢で春斗にとりくみ、長期のストライキに入つたところから、この際一挙に組合の組織を潰滅すべく、まず本社東京工場の組合員に働きかけて第二組合の結成に成功するや、矢板工場においても攻撃的にロツクアウトをかけ、同時に職制をつかつて公然と全金の誹謗、組合脱退、第二組合結成をよびかけ、第二組合の結成が成功したのを機に、第一組合の幹部を懲戒解雇し、第一組合員に動揺を与えてこれが組織を潰滅させようとして本件処分に出たものであり、反面、申請人らには懲戒解雇される事由が全くないのであるから、本件懲戒解雇は不当労働行為であつて無効である。

二、解雇権の乱用及び就業規則適用の誤り

右のとおり本件懲戒解雇は何ら申請人に懲戒解雇事由がないのに、これありとしてなされたものであるから、就業規則の適用を誤りかつ解雇権を乱用したものとして無効である。

第四、仮処分の必要性

申請人らは、いずれも会社より別紙賃金目録のとおりの金員の支払を受け、これを唯一の収入として生活してきたが、本件懲戒解雇により完全に無収入となり、生活は危殆に陥つている。そこで緊急な損害を避けるため、本申請に及ぶ。

(被申請人の答弁)

申請人等の主張の第一・第二の事実はいずれも認める。同第三の一のうち(一)・(二)の事実は全て認める。同(三)のうち昭和二八年の人員整理が組合活動家を対象としてなされたとの点を否認し、その余の事実を認める。同(四)のうち全金加盟の理由は不知、その余の事実を認める。同(五)のうち組合がその主張のような賃上げを要求し、主張のようなストライキを実施したこと、会社が主張のような回答をしたことはいずれも認めるが、その余の事実は全て否認する。同(六)のうち会社がロツクアウトを実施したこと、主張のような仮処分事件が係属したことはいずれも認めるが、その余の事実は全て否認する。同(七)の事実は全て否認する。同(八)のうち第二組合が結成された事実は認めるが、その余の事実は全て否認する。同(九)のうち会社の職制が勧奨したとの点は否認し、その余の事実は認める。同(一〇)のうち栃木県地方労働委員会の立会で、昭和四一年七月二〇日労使双方間に和解協定が成立したこと、七月二四日会社が六二名に対して就労の通告をしたこと、被申請人が主張のような解雇の意思表示をしたことはいずれも認めるが、その余は全て否認する。同(一一)・(一二)の事実は否認する。同第三の二の主張は争う。同第四は争う。

(被申請人の主張)

第一、申請人小林心・同長谷川勝美・同志水清子・同石塚正行の解雇理由

申請人小林心(昭和二九年三月二六日入社、技術部技術課所属)は全国金属労働組合大興電機矢板支部執行委員長、同長谷川勝美(同二五年一一月二〇日入社、製造部工作課所属)は同副委員長、同志水清子(同三三年三月二六日入社、技術部設計一課所属)は同書記長、同石塚正行(同三一年三月二六日入社、製造部工具課所属)は同行動隊長の役職にあるところ、右四名は共謀の上、左記不法行為を企画決定し、その実行方を指導指揮した。すなわち、

(一)  講堂占拠

昭和四一年五月二四日から七月二〇日までの間、会社の使用禁止命令を無視して会社の講堂を不法に占拠し、会社からの連日の文書又は口頭による退去命令を無視し、常時多い時は一五〇名位、少い時は三五名位の組合員をして昼夜籠城せしめて、会社の講堂使用を不可能ならしめた。

(1) 本講堂は、会社が会社主催の諸行事(社長講話、講習会、懇談会、宴会等)及び従業員の教養、娯楽、体育の高揚を目的として建立したものであり、その使用手続は、一般の従業員が右目的の範囲内で通常の使用をなすときは、始業前、昼休み、終業後七時までに限つて自由に使用を許し、右以外は事前に許可を受けることになつていた。許可を受けるに当つては、所定の用紙に、使用目的、使用場所、使用時間、使用人員を記入し、会社は右各項目を検討し、会社の施設管理上支障のない限りこれを許可していた。

(2) 会社は五月二四日午後三時四〇分、ロツクアウトの通知と同時に工場長名をもつて同日終業時以降の講堂使用を禁止した。しかるに組合は何ら事前の許可を得ることなく、終業と同時に講堂に全組合員を集合せしめ、夜具糧食を持ち込み、その晩から約一五〇名の組合員をして籠城せしめ、会社からの再三の文書又は口頭による退去命令を無視して、七月二〇日まで継続して不法に占拠し、その間会社の施設管理権を完全に排除して、その所有権・占有権を侵害した。

(3) 右期間中、会社の諸行事及び一般従業員の使用が全くできなかつたことは勿論、当時会社は講堂一階の一部を臨時の製品置場に使用していたが、右占拠によつて製品置場としての使用が不可能となり、又占拠組合員がテレビ等の電機製品を持ち込んだので、配線の許容量超過による危険を未然に防止するため、電灯線切断のやむなきに至り、更に講堂への侵入の際有刺鉄線の一部が切断され、又自転車置場の屋根が破損を受けた。加えて深夜占拠中の組合員が近所の社宅に就寝中の従業員の安眠を大声をあげて妨害した。

(4) 右行為は就業規則第七四条第三号、第四号、第一〇号、第七三条第七号、第八号に該当する。

(二)  職場巡回と職場交渉

指名スト参加中、警備員及び管理職の制止及び立入禁止命令を無視して、立入禁止区域内に不法に侵入し、再三の退去命令を無視して退去せず、就労中の者の作業を妨害し、あまつさえ退去を求める職制を脅迫するなどしてつるし上げた。すなわち、

(1) 当工場においては、昭和三九年のストに当つて、労使間でスト参加中の者は構内に立入らないとの協定書をとりかわし、組合はこれを遵守した。昭和四〇年は書面の交換はなかつたが、右の趣旨を確認し、組合はこれを遵守した。昭和四一年のストにおいても、その前半(五月上旬)までは、右過去二年間の慣行がよく遵守され、スト参加者が構内に立入らないことは確たる慣行となつていた。然るに後半(五月中旬)以降に至つて、この慣行はがぜん無視されるに至つた。すなわち、

(2) 五月一三日、小林委員長・長谷川副委員長・志水書記長・石塚行動隊長等執行委員一三名は、指名スト参加中であるにも拘らず、午前午後にわたつて、警備員の制止を無視して構内に侵入し、職制及び警備員の退去命令を無視して各作業所事務所を巡回した。

(3) 五月二一日午後八時二〇分ごろ、指名スト参加中の石塚行動隊長は三名の組合員を伴つて構内に侵入し、うろついているところを山口警備員に発見され、再三退去を命じられたが、組合指令を理由にこれを無視し、逆に右警備員に暴言を吐いて脅かし、工作課工場内で残業中の数名の作業員を威圧し嫌がらせをした。

(4) 五月二三日午後一時ごろより四時ごろまで、指名スト参加中の石塚行動隊長ほか一五名位の組合員が、職制の制止を無視して職場内に乱入し、再三の退去命令を無視して職場内をうろつき、作業中の者に支障を及ぼした。

(5) 五月二四日午前九時ごろ、指名スト参加中の小林委員長・長谷川副委員長・志水書記長・石塚行動隊長・久保井執行委員ほか二〇名位が警備員の制止を無視して構内に立入り、

(イ) 午前一〇時ごろまで、作業中の化学課事務所に不法に侵入し、再三の退去命令を無視して馬場文男化学課長・牧野邦彦化学課長代理にくいさがつてその執務を妨害し、作業中の作業員に威圧を加えて作業を停滞させた。

(ロ) 引続き午前一〇時ごろより一〇時三〇分ごろまで、作業中の工作課事務所に侵入し、再三の退去命令を無視して、執務中の塚本幸男製造部長代理・篠崎正晴工具課長・阿久津定男工作課長代理にくいさがり、同人らの職場における作業指示業務を妨害した。

(ハ) 引続き一〇時三〇分ごろより一一時ごろまで、作業中の生産管理課に不法に侵入し、再三の退去命令を無視して、執務中の古川仁生産管理課長にくいさがり、同課長及び川島生産管理課副主査の執務を妨害し、作業中の所属従業員の作業を停滞させた。

(ニ) 引続き一一時ごろより一二時ごろまで、作業中の組立一課に不法に侵入し、同所において大田原電機向けの油圧プレス搬出作業中の飯島久生製造部長・廻谷惣一郎組立一課長・伊佐野係長・神田係長らに大声をあげてくいさがつて搬出作業を妨害し、右作業中止のやむなきに至らしめた。

(6) 工場長は、これら指名スト参加中の者が構内に侵入する時は、作業秩序を乱し、作業を妨害し、作業中の者の危険を招来し、更に就労者に対する煽動をなすおそれのあるところから、警備員及び職制に対し、発見次第直ちに退去せしめるよう命令しておいたが、申請人小林らは警備員および職制の制止及び退去命令を無視して侵入し、前記業務妨害を行つたものである。よつて前記各行為はいずれも就業規則第七四条第三号、第四号に該当すること明らかである。

(三)  ビラ貼付

昭和四一年四月二六日午前零時ごろより三時ごろまで、組合員をして会社構築物に二、〇〇〇枚以上のビラを貼付せしめてその美観を害し、その機能を損ね、その内容において脅迫的言辞を記載して幹部職員を脅迫し、会社の名誉を毀損した。すなわち、

(1) 従前、組合のビラは、会社が許可した専用掲示板に貼付し、そこに貼りきれない場合は倉庫羽目板に貼ることとして、右以外の場所にビラを貼るようなことはなかつた。右取扱いは昭和三九年、四〇年の争議中においても何ら異なることはなかつた。

(2) 然るに、昭和四一年四月二六日午前零時ごろから午前三時ごろまで、組合指令をもつて、枚数二、〇〇〇枚以上のアジビラを、工場南側・北側・東側の公道に面した石塀、及び出入口の門柱・門扉、電柱等、多衆の目に触れ、体裁・威厳・美観を保持すべき場所、及び消防自動車用車庫のシヤツターに、集中的に、雑然と、糊でベタ貼りにさせた。然もその内容たるや、「部課長ヘタニ動クト刺スゾ」「社長専務覚悟はいいか、今度出さなきや殺してやるぞ」「忌中」「此の度社長死去に際しましては御遠方はるばる御焼香いただき云々」「社長よ空気をすえるのも時間の問題だ」等の脅迫文言や侮辱的言辞を弄し、著しく会社の名誉を毀損し、幹部社員を脅迫するものであつた。又消防自動車用車庫のシヤツター全面にビラを糊でベタ貼りにしたため、巻き揚げ不能となり、その機能を損壊したことは、こと消火器具に関するものだけに極めて悪質というべきである。

(3) 組合三役は昭和三九年の争議においても、会社の名誉を毀損し、信用を失墜せしめるビラを配付した故をもつて社長より厳重訓戒を受け、これを陳謝したのであつたが、再び同種の行為をくりかえしたことは許せない行為である。

(4) 会社は同日及び翌日にわたつて三回、文書をもつて貼付したビラの撤収方を警告したが、組合は右警告文をつきかえして撤収命令に従わなかつた。

(5) 右行為は、就業規則第七四条第三号、第四号、第九号、第一〇号、同第七三条第七号に該当する。

(四)  職場内の壁新聞掲示

昭和四一年五月一六・一七日の両日にわたつて、組合指令をもつて、従前の慣行に反して、各職場内に新聞紙大のアジビラを、管理者の制止命令を無視して一斉に貼付せしめた。右行為は就業規則第七四条第四号に該当する。

(五)  業務命令の拒否等

同年五月二三・二四日の両日、従業員に対する出張命令及び配置転換命令を一斉に拒否せしめ、又右業務命令受諾組合員に対し、命令を拒否するよう強要した。

すなわち、

(1) 組合側の長期間にわたる波状スト、特に五月一〇日以降の生産管理課、配線課、機械課、検査課の重点部門ストによつて、生産工程の混乱はその極に達し、工数配分が非常に乱れ、顧客に対する納期の見通しも全くたたないような状態であつた。すなわち、矢板工場の生産方式は集中管理方式をとつているため、生産管理課の重点部門ストは生産工程を大きく混乱させ、配線課に対する重点ストは電電公社納入の諸装置類の納期見通しを全く不能にし、部品加工の第一工程である機械課の重点ストはその後の工程に大きなアンバランスを生じさせた。又長期ストにより部品下請先(大田原電機、矢板工業所、手塚工業所等)との間にも工数の救いがたいアンバランスを生じていた。そこで、ストライキによる生産低下はやむをえないとするも、工程のアンバランスだけは是正して、現場での納期の回答ができるようにする必要に迫られた。そこで南雲工場長は製造部長らの進言により、五月二〇日、部分ストが解除された場合の対策会議を招集し、その結果、工程のアンバランス是正の目的に必要な限度において就労者の配置転換を行うことを決定し、各課長は現場の状況に応じて人選を行い、各部長は部門の調整を行つた上、工場長に報告して工場長名で業務命令を発令することになつた。発令方式は、混乱した状況下にあつて趣旨を徹底し、新たな混乱を回避するため書面によることとし、なお、万一、一部に拒否者が出た場合は、その状況により職場秩序を保持するため退去を命ずることが決定された。

(2) 二三日午後部分ストが解除されたので、午後一時ごろ第一次分として技術部一〇名、製造部一一名、計二一名、二四日午前九時ごろ第二次分として技術部五名、製造部三二名計三七名を各担当課長を通じて発令した。

(3) これに対して、受命者の一部はこれを受諾したが、大部分の者は「組合指令が優先する」との理由で直ちに業務命令を拒否し、その余の者は一旦業務命令を受領したが、その後組合幹部の強要に会いこれを返還してきた。会社は職場秩序を確保する必要上、命令拒否者に対し退去命令書を交付して構外へ退去することを求めたが、組合はこれを拒否せしめた。

(4) 右行為は就業規則第七四条第三号、第四号、第一〇号、同第七三条第八号に該当する。

第二、申請人久保井久夫の解雇理由

(一)  申請人久保井久夫(昭和三四年三月二六日入社、技術部技術課所属)は、五月一九日午後二時四〇分ごろ、指名スト参加者であるから作業場内には立入りできないにも拘らず、警備員の注意及び制止を無視して作業中の組立一課接点熔接場附近に不法に侵入し、藤沢俊一副主査にくいさがり、罵声をあびせ、「搾取者の番頭」とか「ロボツト」とか侮辱的言辞を弄して演説を始め、あげくの果てに、右藤沢の胸倉をつかみ、その執務を妨害した。そのため接点及び中間組立作業者は約二〇分間作業が停滞した。右行為は就業規則第七四条第三号、第四号、第九号、第一〇号、同第七三条第八号に該当する。

(二)  五月二三日、昼休みの集会終了後就労直前に、「職場内においては各自できるだけ仕事をしないように」と各組合員に大声で煽動した。右行為は就業規則第七四条第四号、第九号に該当する。

(三)  申請人小林・同長谷川・同志水、同石塚らとともに第一の(二)の(5)の(イ)ないし(ニ)記載の行為をした。右行為は就業規則第七四条第三号、第四号に該当する。

(四)  六月一三日、講堂より会社の備品テーブルを持出す際、組合員数名を指揮して右搬出作業を妨害した。右行為は就業規則第七四条第三号に該当する。

第三、解雇手続

今次春斗においては、申請人らの不法行為を含め多数の違法行為が発生したので、これを調査の上、会社は、まず七月九日矢板工場の賞罰審査小委員会(委員長南雲矢板工場長、副委員長漆原友雄総務部長ら)を開催し、調査検討の結果、減給、出勤停止、解雇を含め三九名の処分を決定して賞罰審査会(委員長大橋繁三代表取締役ら)に上申した。賞罰審査会は二三名の解雇を決定して社長に上申したが、七月一二日社長命により、機関責任と個人責任を分けて再度討議するよう賞罰審査会を通じて矢板工場小委員会に回付された。そこで小委員会においては七月一四日、争議中の行為であることも考慮して、申請人らに解雇をしぼり、その旨賞罰審査会に上申し、七月一六日賞罰審査会において申請人らの解雇が決定され、社長に上申した。社長は七月一八日申請人らの懲戒解雇を決定し、七月二一日郵送により発令したものである。

(被申請人の主張に対する申請人の答弁及び主張)

被申請人主張の第一の事実のうち、申請人小林・同長谷川・同志水・同石塚の入社年月日、会社及び組合における地位は認めるが、共謀の上、不法行為を企画決定し、実行方を指導指揮したとの主張は否認する。

(一)  組合が昭和四一年五月八日から同年七月二〇日まで会社の講堂を使用したことは認めるが、これが使用は、次のとおり正当な権限に基づいたものである。

(1)  右講堂は、昭和二三年組合が結成されて以来、事前に、場合によつては事後に、口頭で通告するだけで、組合の大会、集会等に使用してきたもので、昭和四一年七月二〇日栃木県地方労働委員会の仲介により和解が成立したのちは、文書による届出制となつたものである。したがつて、会社主張のような事前に文書で届出て許可を受けるしくみではなかつたのである。

(2)  昭和四一年三月二九日春斗における賃金増額要求の団体交渉が決裂し、時限ストに突入したのちは、組合は必要ある毎に事前に口頭で会社に通告して講堂を使用してきた。右講堂は、工場から約五〇米離れて建つており、これが使用により作業に支障を及ぼすことは全くなく、会社は、年始年末又は入社式に使用するのみであつたから、会社の使用が妨害されたということもない。

(3)  昭和四一年五月八日以降東京本社において第二組合結成の策謀が活発化し、矢板工場においてもこの動きがあらわれ出したので、これが防止のためパトロールを強化することとなり、約八名内外の組合員を夜間講堂にこもらせることとし、同日予め漆原部長に電話で連絡して了解を取り付けたのである。更に同年五月九日、申請人小林・同清水・同長谷川が岡村総務課長代理と講堂使用について話し合つたところ、宿泊する者の氏名を事前に明らかにすることを条件にして右使用を承認した。それ以来、守衛が宿泊者を点検するのが慣例となつたのである。

(4)  昭和四一年五月二四日、会社は不法に組合の潰滅を意図して攻撃的にロツクアウトの挙に出たので、組合は右ロツクアウトに対抗するため、講堂に約四八〇名が集合して大会を開催し、五月二四日以降争議が解決するまで講堂に一五〇名前後の組合員を泊りこませることとしたのである。以来講堂宿泊を継続したが、争議の進展に伴い漸次減少せしめてゆき、七月二〇日ごろは、二〇名ないし四〇名程度が宿泊するのみであつた。

(5)  右宿泊に当つては、火気は一切持ち込まず、食事は構外においてたきだしたものを運び込んでいた。講堂の階下東隅にシエルフ(電話自動交換機の半製品)が従前よりおいてあつたが、組合は会社側の講堂の出入を妨害せず、右半製品の持出は全く自由であつた。会社は、五月二六日ごろ組合の講堂使用を妨害するため電源及び水源を切つたので、組合は、テレビ一台を講堂に持込んだもののこれが使用できないため、やむなく組合事務所から電源をとつたのであつて、配線の許容量超過による危険はなかつたのである。有刺鉄線の一部を切断したこともなく、自転車置場の屋根は組合員が過つて一部破損せしめたため、直ちに組合において修復した。

(6)  右のとおり、本件講堂の使用は排他的なものでなく、従前の慣行にしたがい、規律を厳にし管理を厳しくして使用してきたもので、攻撃的で違法なロツクアウトに対する防御上、および会社の組合切崩しに対する防御上やむをえずにとつた対抗措置であり、会社の業務運営に何ら支障を及ぼさなかつたのであるから正当である。

(二)  (二)の(1)について、たしかに、昭和三九年のストライキに当つては、スト参加中の者は工場建物内に立入らない旨の協定書をとり交わしたが、昭和四〇年のストの際、会社が再び右協定の内容を提案してきたので、組合はこれを拒絶したのである。したがつて、会社主張の慣行は存在していない。

(二)の(2)(3)(4)のうち、その主張のように、申請人等が構内に立入つたことは認めるが、これは指名ストの実施状況を監視し、かたがた、右ストに対するスキヤツブ行為を防ぐためとつた措置で、しかも会社の業務に何ら支障を及ぼしていないから正当な組合活動である。

右立入について警備員に制止されたこともなく、暴言を吐いて脅かしたこともなく、かつパトロールは工場内の通行区分内を静かに歩行したのであるから、作業中の者に支障を及ぼしたこともない。

(二)の(5)のうち、五月二四日午前九時ごろ、申請人長谷川・同志水・同石塚外五、六名の者が構内に入り、会社主張の部長、部長代理、課長、課長代理、係長らと話し合つたことは認めるが、警備員の制止があつたこと、これを無視したこと、退去命令があつたこと、これを無視したこと、右部長らの執務及び従業員の作業を妨害した事実はない。会社が、その必要性もないのに、配置転換の業務命令や他の職場に対する応援の業務命令を乱発して、組合のストライキ権を侵害しているので、五月二三日、申請人長谷川、同志水らが南雲工場長に対し右業務命令を乱発している理由を問いただしたところ、同人は「自分には判らないから各部課長に聞いてくれ」という返事であつた。そこで五月二四日、各部課長に会い、業務命令を出した理由を聞いたところ、全員が、「回答の限りでない」と回答を拒否したため、押問答となつたのである。右押問答により作業が妨害された事実はない。なお申請人小林は右交渉に参加していない。

(二)の(6)の事実は争う。本件は、ストライキ権、団結権に対する業務命令乱発による侵害行為を防衛するためにとられた職場交渉であつて、正当な組合活動である。

(三)  (三)の(1)は争う。

(三)の(2)のうち、ビラを貼付したこと、その場所、糊を用いたことは認めるが、その余は争う。ビラの枚数は約一、五〇〇枚である。ビラの内容については特に指示していない。ビラ貼りについては、拡大斗争委員会において、貼付の場所は構外の塀を主とし建物の美観を毀損しないよう留意すること、内容は特に指示しないが過度に刺激的なものを避けること、四月二六日午前〇時を期して一斉に貼り出すことを申し合わせた。ところが、四月二六日午前五時ごろ執行部が中央斗争委員会より帰り、ビラを一見したところ、文句がやや刺激的なものが見受けられたので、直ちに四・五〇枚を撤去し、なお、それより一時間後に開催された拡大斗争委員会において、右申し合せを逸脱したものは発見次第撤去することを決議したのである。会社提出の写真は撤去前のものである。消防自動車車庫のシヤツターのビラは全面に貼つたものでなく、かつ巻き揚げが不能になつたこともない。ビラはいわゆるわら半紙が材料であるから、シヤツターの巻き揚げが不能になることはありえない。しかもシヤツターのレール部分には全く貼られていないのである。

(三)の(3)、(4)は否認する。

(四)  (四)のうち、各職場毎に壁新聞を二、三枚宛天井に貼つたことはあるが、その他は争う。

(五)  (五)のうち、業務命令を拒否したことは認めるが、その他は争う。

被申請人主張の第二の(一)の事実のうち身分関係は認めるが、その他は争う。組合では、パトロール隊を組織し、随時職場内をパトロールし、会社及び第二組合による切崩しを警戒していた。たまたま、申請人久保井がパトロールしていたところ、藤沢がいきなり「出ていけ」と言つたので「出ていく必要はない。当然の組合活動である。」と応じたのである。藤沢の胸倉を掴んだことはない。

同第二の(二)は、全くの事実無根である。

同第二の(三)の事実(第一の(二)の(5)記載の各事実)のうち、部長らと交渉したことは認めるが、他は争う。右はいずれも業務命令乱発の真意をただすための職場交渉で、正当な組合活動である。

同第二の(四)の事実は、否認する。

被申請人主張の第三の解雇手続に関する事実は全て知らない。

以上のとおり、会社が主張する懲戒解雇事由はいずれも理由がなく、会社が挙示する行為はいずれも正当な組合活動であり、会社は組合破壊を目的として本件懲戒解雇を行つたものであるから、いずれも不当労働行為として無効であり、仮りに、争議行為の一部に多少の行過ぎがあつたとしても、懲戒解雇は酷にすぎ無効である。

なお、会社は、申請人小林ら四名に対してはいわゆる幹部責任を問うているが、右四名は何ら違法行為の企画指示をなしていないのであるから、本件懲戒解雇は理由がない。もともと幹部責任は、違法行為を具体的に指示計画した場合に問われる不法行為責任である。しかも前述のとおり、講堂占拠、構内滞留、立入り、ビラ貼り等いずれも正当な組合活動である。

(証拠関係省略)

理由

第一、当事者間に争いない事実

申請人主張の第一・第二の各事実、第三の一の(一)・(二)の各事実、同(三)のうち昭和三八年の人員整理が組合活動家を対象としてなされたとの点を除くその余の事実、同(四)のうち全金に加盟した理由を除くその余の事実、同(五)のうち組合が申請人主張のような賃上を要求し、ストライキを実施したこと、会社が申請人等主張のような回答をしたとの事実、同(六)のうち昭和四一年五月二四日午後三時四〇分、会社が組合に対しロツクアウトの通告をしたこと、同(八)のうち昭和四一年六月一一日、組合脱退者一〇一名が第二組合の結成大会を行つたこと、同(一〇)のうち昭和四一年七月二〇日、栃木県地方労働委員会の斡旋により会社と組合の間に申請人等主張のような内容の和解協定が成立し、同月二四日会社は六二名に対し就労の通知をしたこと、同月二三日午後六時頃申請人等に対する懲戒解雇の意思表示を郵送したこと、

被申請人主張の第一の事実のうち、申請人等の入社年月日、会社および組合における地位、第一の(一)のうち昭和四一年五月八日から七月二〇日まで組合が会社の講堂を使用したこと、同(二)の(1)のうち昭和三九年にストライキ参加中の者の構内立入りについて労使間に協定が成立したこと、同(二)の(2)(3)(4)および(5)の(イ)ないし(ニ)のうち被申請人主張の日時・場所に申請人等が立入つたこと、同(三)の(2)のうち昭和四一年四月二六日午前〇時頃から組合の指令により約一、五〇〇枚のビラを被申請人主張の場所にノリづけによつて貼付したこと、同(四)のうち各職場ごとに壁新聞を天井の梁等に掲示したこと、同(五)のうち組合員が会社の業務命令を拒否したこと、第二の一のうち申請人久保井の入社年月日および会社における地位、同人が職場内をパトロールしたこと、第二の三のうち申請人久保井が被申請人主張の部課長と職場交渉したこと、

はいずれも当事者間に争いない。

第二、本件争議行為の経緯等

いずれもその成立に争いない甲第一号証、第四一ないし四四号証、第五一号証、第五二号証の一・二、第五三ないし六三号証、第六九号証、第七四ないし九六号証、第九七号証の一・二、乙第一〇号証、第二一号証の一ないし一四、第二二号証の一・二、第二三・二四号証、第四三ないし五七号証、右成立に争いのない甲第五二・五三号証、第五六・五七号証、第六一号証と申請人志水清子の供述によつていずれもその成立を認めることができる甲第八ないし二二号証、証人漆原友雄・同南雲信一の各証言によつてその成立を認めることができる乙第一・二号証、第一一・一二号証、第一三号証の一・二、第一五ないし一七号証、第二〇号証、第二八ないし三〇号証、証人漆原友雄・同南雲信一の各証言、申請人志水清子・同久保井久夫の各供述および弁論の全趣旨に、前記当事者間に争いない事実を綜合すると、つぎの事実を認定することができる。

一、被申請人株式会社大興電機製作所(以下会社という。)は、肩書地に本社を置き、同所に東京工場を、栃木県矢板市矢板一、五二六番地に矢板工場を有し、従業員約一、二〇〇人(このうち矢板工場従業員約六九二人)をもつて、有線電話機器、装置等の製造販売を主たる営業としている。

本件解雇当時、申請人小林心は矢板工場技術部技術課に、同長谷川勝美は同製造部工作課に、同志水清子は同技術部設計一課に、同石塚正行は同製造部工具課に、同久保井久夫は同技術部技術課に、それぞれ勤務していたものであり、本件争議行為の行われた当時、申請人等を含む矢板工場の従業員は、総評全国金属労働組合栃木地方本部大興電機矢板支部(以下組合と略称する。)の組合員としてこれに所属していた。

二、もともと、矢板工場の従業員をもつて組織する労働組合は、昭和二三年六月頃結成されたのであるが、昭和二八年一月一四日、会社が三六名の人員整理をしたことに抗議して六三日間の長期斗争をしたことで組合が分裂し、昭和三二年になつて右両組合が組織統一を行つて株式会社大興電機製作所矢板工場労働組合と称することになつたのであるが、昭和三四年に会社の本社および東京工場の従業員が組合を結成したのを機に、昭和三九年二月二四日、東京と矢板の組合は大興電機労働組合連合会(通称労連、以下労連と略称する。)を組織し、かつ、東京の組合は昭和四〇年三月に、また矢板の組合は同年七月一日に、それぞれ総評全国金属労働組合(通称全金)に加盟し、以後、矢板の組合は総評全国金属労働組合栃木地方本部大興電機矢板支部と称し、東京の組合は総評全国金属労働組合東京地方本部大興電機支部(以下東京支部労組という。)と称している。

三、本件争議行為当時、申請人小林は組合の執行委員長、同長谷川は同副委員長、同志水は同書記長、同石塚は同組織部長、同久保井は同調査部長として、それぞれ組合活動に従事していた。

四、労連は、全金の昭和四一年度春斗方針に従い、昭和四一年三月一〇日、会社に対し、組合員一人平均八、五〇〇円の賃金引上げのほか、付帯条件十項目からなる要求を提出し、右要求に対する回答を同月二二日までにすることを求めた。会社は、右期日までに回答を出さず、三月二六日の第一回団体交渉の席で組合に対して右要求理由の説明を求め、三月三〇日の第二回団体交渉で初めて一人平均二、〇〇〇円の賃上げをする旨の回答をした。その後、会社と組合は、四月六日(二、五二〇円の回答)、一一日、一五日(二、八〇〇円の回答)、二〇日、二五日、二八日ないし三〇日(三、一〇〇円の回答)、五月六日(三、一五〇円の回答)と団体交渉を重ね、五月八日の第九回継続団体交渉で会社は賃上げ額を三、二五〇円とする最終回答を提示したが、組合側がこれを不満として拒否したため、両者間の交渉は行きづまり、その後団体交渉は再会されることなく、話し合いは閉ざされることになつた。

この間、労連は会社の回答を不満として本社・東京工場および矢板工場において、それぞれ二四時間全面スト・部分スト・時限スト・指名スト・リレースト等を統一して繰り返し実施し、矢板工場においては、三月二九日に一時間の時限ストライキをしたのを皮切りに、四月八日の二四時間全面スト、四月二六・二七日の四八時間全面ストをはさんで、四月五日、一二日、一四日、一九日、二一日、二二日、二三日と、時限スト・リレー式部分スト等を繰り返し、会社の最終回答が提示された五月八日以降においては、さらに激しく、五月九日と二〇日に実施した二四時間全面ストをはさんで、一〇日から二一日まで連日に亘つて重点部門スト・リレー式部分ストを繰り返した。

ところが、五月二〇日頃にいたり、本社・東京工場においては、東京支部労組から脱退する従業員が多数続出し、東京支部労組の組織が弱体化し、このため労連の結束が乱れて斗争を統一して継続することが困難となつたため、労連は、同月二一日をもつて東京と矢板の各組合の統一ストを中止し、各組合に対しその後の斗争を自主的に実施するように指令した。そこで、矢板支部の組合は、会社に対し、五月二三日スト打切りの通告をしたが、なおも独自の斗争方針に従い、会社職制による組合への支配介入に抗議して、五月二三日に一二時間の全面スト、同月二四日には三〇分および一時間の時限ストを、抗議ストとして実施した。

五、会社は、矢板工場における前記一連の争議行為に対抗して、五月二三日・二四日の両日、矢板工場の組合員五八名に対して、工場内配置転換と、会社の系列下にある大田原市内の株式会社大田原電機製作所(以下大田原電機という。)および矢板市内の矢板工業所その他の下請会社への出張勤務を命ずる業務命令を発令し、これを拒否した者に対しては直ちに工場構内から退去するよう命令するとともに、二四日午後四時頃、組合に対して「二五日午前〇時を期して矢板工場の作業所を閉鎖(ロツクアウト)する」旨を通告した。そこで組合は、二四日の勤務時間終了後、全組合員を講堂に集めて右ロツクアウトの通告がなされたことを報告し、その善後策について協議していたところ、会社は構内の各出入口にバリケードを構築して外部との出入りを困難ならしめ、ロツクアウトの体勢に入つた。

このようにして、組合による賃上げ要求に端を発した本件労働斗争は、組合による連続的な争議行為の実施並びに会社によるロツクアウトの実行により、労使の対立は長期的・決定的な段階へと突入し、団体交渉も開かれることなく、泥沼の様相を見せるに至つた。

六、その間、右ロツクアウトの行われた直後、矢板工場の職制等は、大田原電機の職制等とともに、五月下旬頃から六月中旬にかけて集中的に、各々が分担して、早朝あるいは深夜にわたつて組合員を自宅や下宿先に訪問し、組合から脱退して新たな組合を結成し、これに加入すべきことを勧奨した。その具体的な例は左のとおりである。

(1)  五月二九日午後五時四〇分から六時四〇分にかけて、当時製造部化学課長代理の牧野邦彦は、組合員滝美子の自宅を訪れ、「組合のやることは共産党のやることだ。どこまでも組合について行くと大変な間違いをおかすことになる。組合を脱退すれば会社で保障する。」旨の発言をした。

(2)  六月五日午前一〇時から一一時頃にかけて、課長高橋徳次は、組合員村上凡夫の母に対し、「本人のためだから早く組合から脱退するように本人に伝えてもらいたい。」旨の発言をした。

(3)  六月五日午前一一時三〇分から一二時二五分頃にかけて、技術部長渡辺明と技術部管理課長代理岡本明は、組合員吉村トシイの自宅を訪れ、「全金の組合を脱退して、大興電機のみの組合に加盟してほしい。あなたは民青に入つているのではないか。共産党や民青の恐ろしさを知つているか。」という趣旨の発言をした。

(4)  六月五日午後六時から六時三〇分頃にかけて、製造部組立一課長廻谷惣一郎は、組合員田中康裕の自宅を訪れ、「第二組合結成の準備が進んでおり、脱退者は多数いる。組合から脱退して結婚した方が良い。」という趣旨の発言をした。

(5)  六月五日午後八時一五分から一二時一〇分頃にかけて、課長篠崎正晴は、組合員佐藤幸司の自宅を訪れ、「同志が数十名いるから合流して新しい組合を作ろう。会社は組合員に対して首切り・配置転換を用意しているから脱退して新しい組合に入つた方が得だ。」という趣旨の発言をした。

(6)  六月六日午後六時から九時頃にかけて、製造部長飯島久生は、組合員大島勝栄・大島ケイ子の自宅を訪れ、「ほとんどの者が脱退の署名をした。脱退しないとせつかくの才能が認められない。第二組合を作つて全金を脱退させる。早く脱退の署名をすれば解決までの賃金の六〇パーセントを保障する。」旨の発言をした。

(7)  六月七日午後八時四〇分から一〇時三〇分頃にかけて、製造部化学課長牧野邦彦は、組合員室井幸夫の自宅を訪れ、「執行部の首切りをふせぐために斗争しているようなものだ。署名すれば君の首は心配ない。脱退しろ。」という趣旨の発言をした。

(8)  六月八日午前一一時三〇分から午後一時三〇分頃にかけて、副主査阿久津定夫は、組合員橋本繁の自宅を訪れ、「会社ではロツクアウトをだてにやつたのではない。このままではお互いに平行線をたどり結果的には組合の破滅につながる、皆を救うために妥結を考えてもらいたい。」という趣旨の発言をした。

(9)  六月八日午後八時三〇分から六月九日午前一時三〇分頃にかけて、製造部生産管理課副主査川島岩夫は、組合員藤田明の自宅を訪れ、「お前は評判が悪く、首切りのリストにのつている。かばつても救いようがないから良く考えろ。」という趣旨の発言をした。

(10)  六月一〇日午前六時三〇分から午後一時頃にかけて、製造部長飯島久生・同部生産管理課副主査川島岩夫は、組合員大島勝栄・大島ケイ子の自宅を訪れ、「組合を徹底的につぶす。遅れて脱退したのでは不利になるから早く脱退した方が良い。」という趣旨の発言をした。

(11)  六月一〇日午後五時三〇分から六時三〇分頃にかけて、製造部長代理兼工作課長塚本幸夫は、組合員木沢静の自宅を訪れ、同人の父に対し、「会社はどんな事があつても組合をつぶす気でいる。お宅の息子さんも早く組合をやめた方が良い。」という趣旨の発言をした。

(12)  六月一〇日午後一一時三〇分から一二時頃にかけて、前記塚本幸夫・大田原電機課長梶末松は、組合員遠山勇の自宅を訪れ、「会社は、三・四ケ月はロツクアウトをする覚悟でいるから考え直した方がよい。お前は優秀だから惜しい。脱退してくれ。」という趣旨の発言をした。

(13)  六月一一日午後八時二〇分から一二時頃にかけて、技術部技術課長武田正雄・副主査山川は、組合員平石克己の下宿先を訪ね、「組合を脱退してほしい。今考えないと遅くなる。君には不利な条件があるから後では救えなくなる。君は共産主義者か。」という趣旨の発言をした。

(14)  六月一二日午前八時頃、製造部長代理兼工作課長塚本幸夫は、組合員小山利雄の自宅を訪れ、「組合がつぶれてからでは遅いから今のうちに脱退すべきだ。白旗を早く上げろ。」という趣旨の発言をした。

(15)  六月一二日午前九時から一〇時頃にかけて、技術部技術課長武田正雄・副主査栄格は、組合員土屋典子の自宅を訪れ、「今年は徹底的に組合をつぶすから長期的に斗つても会社がつぶれることはない。今の時点で脱退すれば船にのり遅れないですむ。脱退を決意したら電話を下さい。」という趣旨の発言をした。

(16)  六月一二日午前九時三〇分から一二時頃にかけて、警備員川俣藤三郎は、組合員石崎セツの自宅を訪れ、「廻谷課長がくる訳だつたがまわりきれないので私がきた。明日、五〇人位の女の人の脱退届を告示する。女子の家は全部説得するよう手配した。イエスかノーかで説得している。」という趣旨の発言をした。

このように、組合による労働斗争の長期化と、会社によるロツクアウトの実施および会社職制による組合からの脱退勧奨による動揺の結果、六月一日に一名が脱退したのを皮切りに、六月一〇日には一〇〇名が連名で脱退届を提出し、六月一七日にはさらに二五名が脱退届を提出した。会社は、その都度、組合からの脱退者の氏名を新聞紙大の紙に墨書し、かつ、同人等に対しては、「組合から脱退する旨の届があつたので工場立入り禁止を解除する。」旨を記載して、これを工場正門に掲示した。

七、これらの脱退者は、昭和四一年六月一一日頃、会社の厚生施設である那須の自在荘で新組合の結成大会を開き、株式会社大興電機製作所矢板工場新労働組合(以下新労と略称する。)を結成した。右結成大会には、大田原電気株式会社のマイクロバスとライトバンが、出席従業員の送迎のために使用された。

新労は、六月一七日頃から矢板工場に就労し、同月二六日、賃上げ額等について会社と妥結した。

一方、組合は、栃木県地方労働委員会の斡旋によつて、七月二〇日、会社との間に、「賃金その他の労働条件については会社が五月八日までになした回答(組合員一人平均三、二五〇円)をもつて妥結すること、会社は作業所閉鎖を解除すること、会社は組合員の就労方法およびその時期について組合との間に誠意をもつて団体交渉を行うこと」等を内容とする和解協定が成立し、右協定に基いて、同月二三・二四日の両日、就労方法につき団体交渉が開かれた。しかし、会社は、二四日、組合員のうち約六〇名だけに、翌二五日から就労を命ずる旨の通告をなしたのみであつた。

八、右団体交渉の最中である昭和四一年七月二三日、会社は申請人等に対し、申請人等が違法な争議行為をし、もしくは違法な争議行為を企画決定し、これを指揮指導したとの理由で、同月二五日付で懲戒解雇にする旨の意思表示をなした。

九、ところで、申請人等が企画決定し、その実行を指揮指導したという争議行為の実情は、つぎのとおりである。

(一)  講堂の宿泊占拠について

前述の如く、労連は、総評・全金の春斗方針に従つて、昭和四一年三月一〇日、会社に対していわゆる春斗要求を提出して斗争態勢に入り、矢板工場においても連日の如く争議行為を継続し、斗争は長期化の様相を見せはじめたが、その間、組合としては、斗争の長期化に伴い、組合員を待機させ、あるいは会社による組合への支配介入がなされることを監視し、さらにはロツクアウトを警戒するために、五月八日から一〇名前後の組合員を交替で講堂に宿泊させることにし、五月八日には漆原総務部長に電話で講堂に宿泊する旨を伝えてその承諾をえ、さらに翌九日には岡村総務課長代理に同様の申入れをなし、同人は、火気に注意すること、宿泊責任者を守衛所に届出ることを注意してこれを認めた。そこで組合は、以来、五月二三日まで、毎日一〇名前後の組合員を交替で講堂に宿泊させ、かつ宿泊者の氏名および責任者を守衛所に届出て、斗争に備えていた。この間、会社としては、五月一一付書面で組合に対し、組合員の講堂内無断宿泊を警告し、組合員を講堂内に宿泊させないように通告したが、他に、積極的に講堂からの退去を求めることもなく、以来これを黙認していた。

五月二四日午後四時頃、会社は組合に対し、矢板工場につき作業所閉鎖(ロツクアウト)をする旨の通告をしたため、組合では、同日の作業終了後、組合員を講堂に集めて組合大会を開き、会社からロツクアウトの通告がなされたことを報告するとともに、これに対抗する措置について協議していたところ、会社では、組合の集会中、構内の出入り口にバリケードを構築して外部との出入りを困難にしたため、組合では、組合員が引続き講堂に宿泊してこれに対抗することを決め、当日は約一〇〇名の組合員が集会に引続いてそのまま講堂に宿泊し、食事等は外部で用意してこれを持込み、以後毎日約三〇名前後の組合員が宿泊して、組合の斗争に備えることにした。これに対して会社は、ロツクアウトの通告後は、再三にわたり、口頭および書面で、講堂から退去するように警告を発したが、組合はこれに応ぜず、講堂の宿泊占拠を続けたので、会社は講堂の電源を絶つ等の措置をとつたが、組合では組合事務所から電源を求める等して占拠を続け、栃木県地方労働委員会の斡旋によつて和解協定が成立した七月二〇日まで交替で宿泊を続け、七月二〇日に清掃したうえこれを明渡した。

右講堂の宿泊占拠中、講堂の階下の一部には会社の製品が置かれていたが、組合ではこれに手を触れることはせず又会社が右製品を搬出するについて、これを妨げることはしなかつた。

なお、争議時における組合員の講堂宿泊の例としては、昭和四〇年度の春斗時において、組合は四三日間に亘つた無期限ストライキを実行したが、この際にも、組合はストライキ突入以前から一〇名前後の組合員を講堂に宿泊させ、ストライキ突入後は継続して常時約三〇名前後の組合員を講堂に宿泊させたことがあるが、この間、会社は組合員の講堂宿泊を黙認し、退去を求めることはしなかつた。

(二)  職場巡回と職場交渉について

組合では、斗争期間中の五月一〇日頃、執行委員会において、争議状況を調査し、争議中のスト破りを防止し、あるいは会社がロツクアウトする気配を探索しこれを監視する目的で、職場巡回(パトロール)を実施することをきめ、同月中旬頃から、組合役員および拡大斗争委員等が中心となつて、重点ストライキ実施中の各職場を巡回した。職場巡回をするについて、組合は、無用の摩擦と混乱を避けるため、主として通行許容区域を示す黄線の範囲内を通行すること、みだりに作業員に話しかけないことにし、かつ、これを実行した。

しかし、組合による右職場巡回の過程において、会社職制はパトロール中の組合役員等に対し、職場内からの退去を求め、又組合役員は会社の職制に対し、業務命令の趣旨を質したり、退去命令に抗議したり等したため、一時的に対立が生じたこともあつた。即ち、

(1) 五月一三日、指名ストライキ参加中の申請人小林・同長谷川・同志水・同石塚等執行委員一三名は、職場内に立入つて各作業所を巡回した。

(2) 五月一九日午後二時四〇分頃、指名ストライキ参加中の申請人久保井は、組合員佐久間・酒井とともに、作業中の生産管理課を巡回し、さらに組立一課の接点容接場附近を巡回中、生産管理課副主査藤沢俊一から退去するように求められ、これに対して久保井は、「組合の指令に基いて歩いている」と答え、両者の間で業務命令が優先するか組合指令が優先するかについて口論となり、激しいやりとりがあり、久保井もかなり激しい口調で云い返したが、この際、久保井は、「お前は会社のロボツトにすぎない」という趣旨の発言をするとともに、藤沢の作業衣の左エリを掴んで引張る等の行為をした。

(3) 五月二一日午後八時三〇分頃、指名ストライキ参加中の申請人石塚は、他の三名の組合員とともに職場内に立入つて各作業所を巡回したが、この際、会社の警備員から退去を求められたが、組合指令に基くものであるからとしてこれを拒否し、パトロールを継続した。

(4) 五月二三日午後一時頃から四時頃まで、指名ストライキ参加中の申請人石塚は、他の一五名位の組合員とともに職場内に立入つて作業所を巡回したが、この際も、会社職制から退去を求められたが、組合指令が優先するとしてこれに応ぜず、パトロールを続行した。

(5) 組合では、スト破りとロツクアウトを警戒し、五月二三日の拡大斗争委員会において、会社の業務命令に対してはその趣旨内容について詳しく説明を求めることに決めていたが、会社は、五月二三・二四日の両日、五八名の組合員に対して、工場内の他の部課への配置転換と大田原電機その他の下請会社への出張勤務を命ずる業務命令を発し、しかも同二四日には生産管理課および組立一課で保管していた部品・工具・機械等を梱包して大田原電機に搬出する作業を始めたので、組合では、これらは会社がロツクアウトを実施するための準備をしているものと考え、指名ストライキ参加中の申請人小林・同長谷川・同志水・同石塚・同久保井等二〇名位の組合員は、各職場に立入つて職制に対して業務命令の事情の説明を求め、また、機械・部品等の搬出作業の中止方を求めた。即ち、

(イ) 五月二四日午前九時頃、長谷川・志水・石塚・久保井および組合員村山は、作業中の化学課事務所に赴いて、同課々長馬場文男・同課長代理牧野邦彦に対し、同課員に対する業務命令について説明を求めた。

(ロ) さらに同人等は、同日午前一〇時頃から一〇時三〇分頃まで、工作課事務所において、同課々長塚本幸夫・同課長代理阿久津定男に対し、同課員に対する業務命令についての説明を求めた。

(ハ) 申請人久保井は、同日午前一〇時三〇分頃、生産管理課の部品倉庫において、同課々長古川仁生・同課副主査川島岩夫等が同倉庫内の部品を大田原電機宛に庫出し作業をしているのに対し、右は作業所閉鎖の準備行為であるから作業を中止するように抗議した。

(ニ) 申請人久保井は、さらに同日午前一一時頃、組立一課において、同課々長廻谷惣一郎・製造部長飯島久生等が、油圧プレス機を大田原電機に向けて搬出作業をしているのに対し、右行為がロツクアウトの準備行為であるから作業を中止するように抗議した。

なお、ストライキ参加中の者の作業場内立入りについては、昭和三九年度においては協定によつて立入り区域が定められたが、昭和四〇年度における争議に際しては会社からの再度協定の申入れに対し、組合がこれを拒否したため協定は成立せず、昭和四一年度においてもこのような協定は結ばれず、しかもこれらのことが労使双方の慣行として尊重されていたと認めるに足るだけの証拠もない。

(三)  ビラ貼り行為について

労連では、本件斗争の過程において、組合員の志気を高揚するためにビラを貼ることを決めてこの旨を指令し、矢板工場では四月二六日午前〇時を期して、ワラ半紙に墨汁又はマジツクで書いたビラ約二、〇〇〇枚を、工場南側・北側・東側の石塀、出入口の扉・門柱、電柱および消防自動車用車庫のシヤツター等に貼付した。組合では、右指令を出すに際しては、過激な文言で個人の名誉を傷つけないよう指示し、かつ、同日午前二時頃、東京から帰つた申請人小林・同長谷川・同志水の組合三役は、貼付されたビラをみて廻り、このうち過激と思われる内容のもの数枚を撤去し、さらに同日午前一〇時に開催した拡大斗争委員会でも、再度、貼付されたビラをみて廻つて拙い内容のものを撤去することを協議し、これを実行した。(ちなみに、乙第二一号証の一ないし七の写真は四月二六日の朝方撮影されたものであることが認められる)。

貼付されたビラは、前記各場所に雑然と、しかも一面に貼付され、その記載内容は、「スト決行中」とか「要求貫徹」というような春斗の要求や組合の訴えを記載したものが大部分であるが、中には、「社長・専務、覚悟はいいか、今度出さなきや殺してやるぞ」、「社長よ、矢板は闇夜が多いぞ」、「この度、社長死去に際しましては、御遠方はるばる御焼香いただき誠に………」、「古川のバカヤロー」というような内容のものも含まれていた。

会社は、同日および翌日、三回に亘つて文書で、会社の構築物に許可なくして各様のビラを貼付したとして、これらのビラを即時撤収するように申入れたが、組合は、前述のように、右ビラのうち不穏当なものを撤去したのみで、そのほかのビラ撤去に応じなかつたが、労使間に和解協定が成立した七月二〇日にこれを撤去し、その跡をきれいに復した。

なお、昭和三九年の春斗時において、組合が一般市民に配布したビラの内容が穏当を欠くものがあるとして、当時の組合役員であつた申請人小林・同長谷川・同志水・同久保井が、会社に陳謝したことがある。

(四)  職場内の壁新聞の掲示について

組合では、斗争の一環として、組合員の志気を高揚するために、職場内に壁新聞を掲示することをきめ、五月一六・一七の両日、新聞紙大の壁新聞を掲示した。この壁新聞は、主として各職場の天井の梁や壁等に掲示されたが、これによつて、特に人や物の出入りが妨げられたり、採光が妨げられたりしたことはなく、また、これが掲示によつて特に業務に支障が生じたということはなかつた。

(五)  業務命令の拒否について

会社は、組合の長期に亘る斗争のため、生産工程のバランスが乱れ、注文者への納期も大幅に遅延し、今後の納期見通しも全くたたなくなつたため、五月二〇日、南雲工場長は部課長を集めて対策会議を開き、指名ストライキに参加していない従業員を他の部課へ一時的に配置転換し、また、大田原電機その他の下請系列会社に出張勤務させることを決め、具体的人選等については各部課長の判断にまかせることにした。

これに基き、会社は南雲工場長名の文書で、五月二三日、七名に社内配置転換を、一四名に社外出張勤務を命ずる業務命令を出し、さらに翌二四日には、一五名に社内の配置転換を、二二名に社外出張勤務を命ずる業務命令を出し、併せて右業務命令を拒否した者に対しては直ちに構内から退去すべき旨の退去命令を用意した。

これより先、組合では、ストライキ等による斗争の成果を高め、また、会社がロツクアウトの準備をすることを防ぐために、五月九日に無期限の社外勤務出張拒否斗争に入る旨を会社に通告してあり、また、五月二一日の拡大斗争委員会で、ロツクアウトを警戒し、これに加担するような作業やスキヤツブ行為は拒否すること、業務命令が出されたらその趣旨を質すこと、社外への出張は拒否すること、退去命令には応じないこと、等を決めてこの旨を組合員に指示し、五月二三日の拡大斗争委員会においても再びこれを確認していたため、五月二三・二四日の両日に会社からなされた前記配置転換や社外出張を命ずる業務命令に対しても、大部分の従業員は組合指令が優先するとして直ちに業務命令書を返上し、一旦これを受理した従業員も組合の指示により右業務命令を拒否し、業務命令書を返上した。会社では、これら業務命令を拒否した従業員に対し、構内から退去するよう退去命令を出したが、従業員は組合の指示に従い、これにも応じなかつた。

一〇、以上の認定に反する各供述人の供述部分および各書証の記載部分は措信することができず、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

第三、本件解雇の無効原因

一、申請人小林・同長谷川・同志水・同石塚に対する解雇の効力について

(一)  被申請人は、組合が行つた本件争議行為には、正当な組合活動の範囲を逸脱した違法な行為があるから、組合幹部としてこれを企画・決定し、指導・実行した右申請人等は、右違法行為について幹部責任を負うべきであり、これらは就業規則第七四条第三号・第四号・第九号・第一〇号、第七三条第七号・第八号に該当するから、同人等を懲戒解雇に付したのは正当であると主張し、これに対して申請人等は、右各行為はいずれも正当な組合活動であり、本件解雇は、申請人等が活発な組合活動をしたことを理由としてなされたものであるから無効であるとして抗争するので、まず、被申請人が、違法な組合活動であると主張する申請人等の各所為について順次判断することにする。

(1) 講堂の宿泊占拠について

被申請人は、組合が会社の許可を受けることなく、しかも会社による再三の警告を無視して、昭和四一年五月二四日から七月二〇日まで講堂に組合員を宿泊させ、これを占拠したことが違法であると主張する。

しかし、前記認定のように、昭和四一年の今次斗争において、組合が講堂を占拠しこれに宿泊するようになつたのは五月八日からであり、しかも八日および九日には会社の承諾を受けていること、以来、会社がロツクアウトの通告をした五月二四日までの宿泊占拠について、会社は、五月一一日に一度退去の警告をしたのみで事実上これを黙認していたと考えられること(本件訴訟においても五月二四日以前の組合による講堂の宿泊占拠については、会社はこれを違法な行為であると主張していないことは、その主張に照らして明らかである。)、組合による講堂の宿泊占拠は、長期斗争の一環として行われているものであり、五月二四日の前後においてその目的・態様(但し宿泊人数の増減を除く)に変りないこと、組合は、昭和四〇年度の春斗時における四三日間の無期限ストライキ期間中、講堂を占拠してこれに組合員を宿泊させたことがあり、

この時も、会社は特に組合に講堂内からの退去を求めることもなく、事実上これを黙認していたこと等、講堂の宿泊占拠に至る前後の事情、これに対する会社側の態度、昭和四〇年度春斗時における前例等に併せて、講堂の宿泊占拠によつて会社が特にその業務を阻害されたと認めるべき証拠のない本件においては、組合による斗争が長期に亘つていたという当時の状況の下で、ロツクアウト後においても組合が講堂を占拠してこれに組合員を宿泊させていたことが、組合活動の範囲を逸脱したものとして、これを違法な行為ということはできず、右行為はいまだ正当な組合活動の範囲内の行為というべきである。

会社が、五月二五日午前〇時から矢板工場の作業所閉鎖(ロツクアウト)を実施する旨を組合に通告していることは前記認定のとおりであるが、元来、ロツクアウトは、組合員による労務の提供を拒否して会社が賃金支払の債務を免かれることを主たる目的とするものであり、組合員を会社構内から排除することを直接の目的とするものではないから、会社がロツクアウトを実施したからといつて、それまで継続していた講堂の宿泊占拠がその時から直ちに違法となるものでないことはいうまでもない。

そして、他に、組合による本件講堂の宿泊占拠の方法・態様が不相当であつたと認めるべき証拠もないから、右行為が違法であるという被申請人の主張は失当というべきである。

(2) 職場巡回と職場交渉について

つぎに被申請人は、組合が指名ストライキに参加中の組合員を、会社の制止および立入禁止を無視して作業場内に立入らしめ、就労中の従業員の作業を妨害したことが違法な行為であると主張する。

もともと、ストライキは、労働者が会社に対する労務提供の義務を免がれ、会社の統制から一時的に離れることを目的とする争議行為であるが、これによつて会社の従業員としての地位が失われるものではないから、ストライキ参加中の者が会社構内に立入ることがあつても、それが不正な目的のためであつたり、あるいはこれによつて他の業務が著しく阻害される等の事情がないかぎり、正当な組合活動の範囲内の行為であり、これを違法な行為ということはできない。

本件についてこれをみるに、前記認定の第二の九の(二)の(1)(3)(4)の各行為は、組合が、斗争の長期化に伴い、部分スト・指名スト中の争議状況を調査し、争議中のスト破りを防止し、会社によるロツクアウト実施の気配を監視する目的で、指名スト参加中の組合員をして職場巡回を実施させたものであり、かつ、その実施に当つては、無用の摩擦を避ける趣旨から、主として通行許容区域を示す黄線の範囲内を通行し、みだりに作業員に話しかけたりもせず、これによつて他の業務が著しく阻害されたとも認められないから、会社職制による退去要求に応じなかつたとしても、右(1)(3)(4)の職場巡回行為自体が違法であるということはできない。

つぎに、同第二の九の(二)の(5)の(イ)(ロ)(ハ)(ニ)の各行為は、単に職場巡回しただけに止まらず、さらに積極的に業務命令の趣旨の説明を求めたり、あるいは、作業の中止方を求めたり、これに抗議したりしているが、もともと、会社が五月二三・二四日の両日に亘つて発した業務命令は、後記に述べる如く(後記(5)参照)、組合の斗争の効果を減殺し、組合員の間に動揺を与える意図の下になされたものと考えられ、しかも、これに併せて同時に、大田原電機宛に機械備品・部品等の搬出作業が行われていた当時の状況の下においては、組合が、会社によるこれら一連の行為をロツクアウトの準備行為であると考え、これらの行為を実行していた会社職制に対し、業務命令についての説明を求め、あるいは搬出作業の中止を求め、これに抗議することは、組合幹部としては当然に為すことが予想された正当な組合活動の範囲内の行為であり、実力でこれを阻止したとか、暴行・脅迫の挙に出たとか、その他不当に業務を阻害したと認めるに足る証拠のない本件においては、右(二)の(5)の(イ)ないし(ニ)の各行為も、これをもつて違法ということはできない。

被申請人は、会社と組合との間においては、ストライキ参加者は組合事務所等一定の限られた範囲以外の構内に立入らないという慣行が確立されていたと主張するが、前記認定のように、ストライキ参加者の作業場内立入りについては、昭和三九年度において労使の協定により立入り区域が限定されたことがあるけれども、昭和四〇年度においては、会社からの再度協定の申入れに対して、組合がこれを拒否していることに鑑みれば、昭和四一年度においてこのようなことが慣行として確立されていたと認めることはできず、この点に関する被申請人の主張は採用しがたい。

従つて、組合による職場巡回・職場交渉が違法であるとする被申請人の主張も、理由がないというべきである。

(3) ビラ貼り行為について

組合が、労働斗争の過程において、組合員の志気を高揚し、その団結をかため、あるいは一般市民の支持を得て斗争を有利に展開するために、ビラを配布しもしくは貼付することは、労働斗争に附随する一つの手段として是認されるところである。もつとも、この場合、貼付されるビラの内容および貼付される場所・態様の如何によつては、争議手段としての許された範囲を逸脱した違法のものとなることがあることは勿論であり、この場合の相当性の判断は、その行われた当時の斗争状態の程度・段階等に対応して、流動的になされなければならない。

本件についてこれをみるに、前記認定のように、組合では、昭和四一年三月一〇日に春斗要求を会社に提示して斗争態勢に入り、これに基いて三月二六日を第一回として数度に亘り団体交渉が開かれたが、双方の提示額にかなりの差があつたため、組合では三月二九日の時限ストを皮切りに、全面スト・時限スト・リレー式部分ストを繰り返し、四月二六日当時は、要求を提示してからすでに一ケ月半、第一回の団体交渉からすでに一ケ月を経過し、しかもいまだ双方の主張にかなりの開きがあつて、斗争は今後とも長期に亘ることが予想されていたこと、このような中で、組合は、組合員の志気を高揚し、さらに一層の団結をかためる目的で、四月二六日午前〇時を期して約二、〇〇〇枚のビラを貼付したものであり、しかも貼付した場所も、石塀・扉・門柱・電柱・自動車車庫のシヤツター等、直接に業務に支障をきたす場所は避けられていることに鑑みると、右のビラ貼り行為は、これによつて美観が損われるということがあつたとしても、その態様および当時の斗争の段階に照らして、争議行為としての相当性の範囲を逸脱しているということはできない。

もつとも、成立に争いのない乙第二一号証の七によると、消防自動車用車庫のシヤツターに貼られたビラのうちの二枚が、二枚のシヤツターにまたがつて貼付されていることが認められる。ところで、右二枚のシヤツターにまたがつて多くのビラが貼付されると、その開閉に支障をきたし、緊急の場合重大な影響を及ぼすことは容易に考えられるが、前記のように、二枚のシヤツターにまたがつて貼付されたビラはわずか二枚であるから、これによつて、シヤツターの開閉に支障をきたすとは考えられず、仮りにこれが何らかの障害になるとしても、この二枚のビラを取り除くことは容易になしうるところであるから、これをもつて、前記のビラ貼り行為の態様が違法ということはできない。

そこで、つぎに、貼付されたビラの内容について検討してみると、前記認定のように、貼付されたビラは、「スト決行中」とか「要求貫徹」というような、春斗の要求や組合の訴えを記載したものが大部分であるが、中には、「社長・専務覚悟はいいか、今度出さなきや殺してやるぞ」「社長よ、矢板は闇夜が多いぞ」「この度、社長死去に際しまして、御遠方はるばる御焼香いただき、誠に……」「古川のバカヤロー」というような内容のものもあり、これらは、組合員の志気を高めて組合の団結を強め、あるいは一般市民の支持を得るためという、ビラ貼付の本来の目的からは外れた記載文言であるが、これらビラの記載文言に徴すれば、これらは、組合員が真実に社長や専務を脅迫する意図でなされたものではなく、会社の回答に対する組合員の不満の気持を表わすため、一種のいたずら的な気持でこのような文言を記載したものであろうということは容易に想像ができ、私生活をあばくとか虚構の事実を掲げる等、その記載内容が著しく悪質であると認められる場合ならともかく、かかる程度の記載内容のビラを貼付したからと云つて(勿論、それは決して穏当なものとは云いがたいけれども)、これが違法であるというほどのことでもない。

のみならず、申請人等組合幹部は、右ビラ貼りに際して個人の名誉を傷つけないように指示し、かつ当日見廻つて過激な内容のビラの撤去につとめたのであり、そして、労使間に和解協定の成立した七月二〇日には、組合では、貼付したビラを全く撤去し、その跡をきれいに清掃していることは前記認定のとおりであるから、いずれにしても、本件のビラ貼り行為が違法であるということはできない。

(4) 職場内の壁新聞の掲示

前記認定のように、組合では、今次斗争の一環として、五月一六・一七の両日、新聞紙大の壁新聞を各職場に掲示したが、このような壁新聞を掲示することは、ビラを貼付する場合と同様、組合員の志気を高揚し、団結を強めるために、労働斗争の一手段として、相当の範囲内で是認されるところである。

而して、前記のように、本件の壁新聞の掲示によつて、会社の業務が阻害されたことはなく、その記載内容も組合の団結の維持と要求貫徹の決意をうたうものであつて、穏当を欠くものとは認められないから、組合が壁新聞を掲示したことが違法であるということはできない。

(5) 業務命令の拒否について

被申請人は、組合による業務命令の拒否斗争および業務命令を受諾した組合員に対して命令を拒否するよう強要したことが違法であると主張する。

確かに、従業員が、会社によつて正当になされた業務命令を拒否することは、会社の経営秩序を乱すものであるから、正当な理由がないかぎり、会社による懲戒に服すべきではあるが、その業務命令が正当なものと認め難いような場合には、これを拒否しても、このことのために懲戒に服すべきいわれはない。

そこで、本件の業務命令が正当なものと認められるか否かの点について判断するに、会社の業務命令が、組合による争議行為の過程においてなされた本件のような場合には、その正当性の判断は、労働争議は本来流動的なものであるから、それが当時のいかなる争議状態の中で発せられたか、従つてそれが当時の争議状態にとつていかなる意味をもつか、又、それがいかなる意図の下に行われたか等、流動的、全体的に判断されなければならないところ、すでに認定したように、組合では、昭和四一年三月一〇日、会社に対して春斗の要求を提出してからいわゆる春斗の斗争態勢に入り、三月二九日の一時間の時限ストライキを皮切りとして連日の如く争議行為を繰返し、しかも五月八日の団体交渉において会社から提示された最終回答が組合によつて拒否されて以来、団体交渉も開かれることなく、労使の交渉は行きづまりの状態となり、これとともに組合による斗争も一段と激しさを増し、以来、五月九日の二四時間全面ストを初めとして同月二一日まで連日に亘つて重点部分スト・リレー式部分スト・全面スト等を実施し、その争議状態は長期化・泥沼化の様相を呈していたこと、しかも、五月二〇日頃に至つて、東京支部労組からの脱退者が続出し、労連の結束が乱れたため、統一斗争の継続が困難となり、五月二一日に労連による統一ストの中止を決定し、同月二三日、この旨を会社に通告していたこと、会社が二三・二四日の両日になした本件業務命令は、組合員五八名を対象としてなされたものであるが、このうち三六名は、大田原電機その他社外の下請会社に対する出張勤務命令であること、しかも、当時会社では、組合が五月九日から無期限に社外勤務命令の拒否斗争に入つていることを了知しており、当時の状況の下では、本件業務命令も拒否されるであろうことを予想して、拒否者に対しては職場内から退去するよう求めた退去命令をあらかじめ用意していたこと、会社では、五月二五日午前〇時からロツクアウトを実施し、この旨は五月二四日午後四時頃組合に通告しており、また五月二三日頃から会社の機械・備品・部品等を系列下にある大田原電機宛に発送し、もしくはその準備をしていたこと、これらのことに照らせば、少くとも、業務命令を発した五月二三・二四日当時には、会社ではすでにロツクアウト実施の方針を決定しており、矢板工場においても当然にこのことを知つていたと推認されること、更に会社では、ロツクアウトが実施された直後頃から六月上旬にかけて、職制を動員して組合員の自宅等を訪問させ、組合員に対し、組合から脱退して第二組合を結成すべきことを勧奨していること等、本件業務命令が発せられた前後の状況を綜合して判断すると、組合の連日に亘る斗争のために、当時、会社の生産工程のバランスが著しく混乱し、このために注文者に対する製品の納入が著しく遅延しているというような状況の下にあつたとはいえ、本件業務命令の意図するところは、組合による長期斗争のために組合員の結束が乱れかけており、このような時に業務命令を発して組合員の間に動揺を与え、かつ、これをロツクアウトの足がかりにしようとするところにあつたものと解することができ、従つて、当時の状況下においては、これをもつて正当な業務命令ということはできず、これを拒否したとしても違法であるということはできない。

また、一旦、この業務命令を受諾した組合員に対して、申請人等組合幹部が、その意に反して業務命令の拒否を強要したと認めるべき証拠もないから、この点に関する被申請人の主張も、結局は理由がないというべきである。

(二)  以上みてきたように、被申請人が違法な争議行為であるとして主張する組合の各行為のうちには、ビラの記載内容などに一部穏当を欠くものがあつたとしても、これをもつて違法であるというべきほどのことではなく、又、争議行為を全体的に評価してみても、組合の行つた今次斗争行為が法的に許された範囲を逸脱しているということはできず、結局、組合の本件争議行為はいずれも正当な組合活動の範囲内の行為というべきである。

従つて、申請人小林・同長谷川・同志水・同石塚が、組合幹部として、これらの行為を企画・決定し、指導実行したとしても、被申請人が主張するように、同人等に就業規則に定める懲戒事由が存在するということはできないから、同人等に対する本件懲戒解雇の意思表示は、この点において無効というべきである。

のみならず、前記認定のような本件斗争の過程における会社の組合員に対する脱退勧奨およびその時の発言内容等、諸般の事情を考慮すると、会社が申請人等の組合幹部を解雇したことは、組合による激しい争議行為を嫌う会社が、組合の勢力を減殺し、もしくは壊滅させる意図の下に、その幹部である申請人等を解雇したものと推認することができ、従つて、本件懲戒解雇の意思表示は、労働組合法第七条第一号に該当する不当労働行為としても無効というべきである。

二、申請人久保井に対する解雇の効力

(一)  前記第二の九の(二)の(2)に認定したように、五月一九日午後二時四〇分頃、申請人久保井が職場巡回中に、生産管理課副主査藤沢俊一から退去を求められたことから同人と云い争いとなり、申請人久保井も激しい口調で云い返し、その際藤沢に対し、「お前は会社のロボツトにすぎない」という趣旨の発言をし、あるいは同人のエリを掴んで引張る等の行為をしたことがあるけれども、前記第三の一の(一)の(2)でのべたように、組合員が組合の指令に基いて、部分スト実施中の職場を巡回することは、これによつて他の業務を著しく阻害する等の事情のないかぎり、正当な組合活動の範囲内の行為であり、従つて、これに対して会社の職制が退去を求めることは、正当な組合活動に対する干渉になるおそれがある。申請人久保井の右言動には穏当を欠くきらいのある発言ないし行為が含まれているとはいえ、これらの事態は、久保井が職場巡回していたところに藤沢がきて退去を求めたことから起つたものであり、いわば藤沢の行為がかかる事態発生の原因を与えているともいえるのであるから、申請人久保井の行為のみを非難すべき性質のものではなく、かつ、その程度も著しいものではないから、これをもつて直ちに違法ということはできない。

(二)  申請人久保井に対する懲戒事由として被申請人が主張する第二の(三)の事由は、いずれも、いまだ正当な組合活動の範囲内の行為であり、これらをもつて違法な行為ということができないことは、すでに第三の一の(一)の(2)でのべたところである。

(三)  また、被申請人主張の第二の(二)および(四)の各事由は、これを認めるに足るだけの疎明がないから、これを理由として同人を懲戒に付することはできない。

(四)  このように、申請人久保井の行為の中には、藤沢副主査に対する言動のように一部穏当を欠くものがあつたとしても、これをもつて違法であるというべきほどのことではなく、他に懲戒事由に該当するような行為も認められないから、同人に対する本件懲戒解雇の意思表示もまた、この点において無効というべきである。

のみならず、同人に対する本件解雇も、第三の一の(二)でのべたと同様に、労働組合法第七条第一号に該当する不当労働行為としても無効というべきである。

第四、仮処分の必要性

申請人志水清子の供述によつてその成立を認めることができる甲第三号証および申請人志水清子の供述に弁論の全趣旨を綜合すると、申請人等は、従来、会社から毎月二八日限り別紙賃金目録記載の各割合による賃金の支払を受けており、かつ、これのみによつて自己およびその家族の生活を維持してきたものであつて、会社から支払われる賃金が絶えたまま、本案訴訟の判決の確定をまつていては、著しい損害を受けるおそれがあると認めることができ、右認定を覆すに足る証拠はない。

第五、結論

よつて、申請人等が、本件解雇の意思表示が無効であることを理由として、被申請人の従業員としての地位を有することを仮りに定め、かつ、被申請人が申請人等に対して、本件解雇の日の翌日である昭和四一年七月二六日から、毎月二八日限り、別紙賃金目録記載の各割合による賃金相当の金員の支払を求める本件申請は、相当であるからこれを認容することにし、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 石沢三千雄 杉山修 武内大佳)

(別紙省略)

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